第36話 東日本大震災

日常生活

今日はちょっと、雑談を…

昨日 3月11日、テレビやネットで、震災の事が目につきました。

私も経験者の一人。

当時、私はとある温泉地に勤めていました。

朝食の支度と、お弁当の準備をして…その日に限って何故か、夕飯用にと「ポトフ」を作り、仕事に出掛けました。

そしてあの地震

18時に仕事を終え、帰宅する時の怖かった事。もっと早く帰りたかったのですが、帰してもらえず定時まで仕事となりました。

職場から家迄、片道約35km。街灯の無い山道は真っ暗です。頼りになるのは、自分の車のベッドライトの灯のみ。急いで帰りたいけど、スピードを出すことも出来ず…もう二度と、闇の中の運転は、したくないと思っています。

やっとの思いで帰宅したら、息子達がいて、

「これからカップ麺でも食べようと、ちょうどお湯を沸かそうと思っていたところ」

と、コタツの上に、カセットコンロやかんが有りました。

お湯を沸かそうとしていのを見ていてふと、

「そう言えば、今朝作っておいたポトフが、台所のコンロのうえにあるはずだけど…無い?」

と言ったら、息子が

「有った!」

と、我が家の夕飯が、カップ麺からポトフに変わりました。

そして息子が、

「母さん、ごめん。毛布1枚駄目にした」

と言ったので、

「どうしたの?」

と聞いたら

「お店の犬と猫を連れてきた。ペットキャリーに入れて有るけど、それでは寒いから、上から毛布をかけた。ごめん。」

と、言われました。家にはファンヒーターしかなかった為、家の中を温める事ができませんでした。

なんと数をかぞえたら、11匹いたのです。その内1匹はトリミング中に被災した中型犬。その仔は、ケージに入れられて、玄関にいました。

我が家にも、モカと他に2匹。その仔は柴のミックス(名前は やまと。♂)で、外犬としていました。外には猫(名前は みい。♀ …今回のアイキャッチ画像)もいました。

自分達だけでも大変なのに、何故こんなに我が家に?…と思い、息子に尋ねたところ、

「店長は2匹だけ連れて行き、他の奴らは誰一人、1匹も連れて行く事なく、早々と帰って行った」

当時息子は、とあるホームセンターにテナントで入っている、ペットショップで働いていました。息子は、地震の後 一人残り、ホームセンターの方に手伝ってもらって、お店にいた犬と猫をペットキャリーに入れて、車に乗せて帰宅した…との事でした。

私達は、夕飯を食べ終えてから、モカを連れて、実家に行きました。

翌日の朝から、実家から家へと通いながら、家に残した犬達の世話が始まりました。

1日2回。朝と夕と、餌とお水をあげに行きながら、トイレ交換もその時に…。

勿論、移動手段は徒歩。片道40分ほどです。

最初は、私と息子達の3人で、世話をしに行っていましたが、なかなか辛くなり、交代で2人ずつで行く様にしました。それでも、長男の体調が日に日に悪くなり、地元の市立病院に行って診てもらったら、

「胃か腸から出血していると思われるが、この状態なので、検査も出来なければ、入院もさせられない。消化の良い物を食べて、安静にしていてください。」と、言われたとの事でした。

それからは長男抜き。二男と私と2人で、世話をしに通いました。

ある日、家での世話が終わり、実家へと歩いている途中で、ふらふらと歩いている犬がいました。

色は黒色で、

「モカに似ているね」

と、息子と話しながら見ていたのですが、回りには、飼い主らしい人…と言うか、人の姿は全く無く

「こんな時に!ノーリードで歩かせているの?非常識じゃない?」

と思っていたら、その犬はふらふらとしながら、前進したり後退したりしながら、旧国道を横断して行ったのです。

慌てて、息子と二人で追いかけました。

渡り終えた所にあったコンビニに、その仔が入っていこうとしていたので、首輪を掴み、そのお店に並んでいた人達に、飼い主がいない事を確認してから、実家に連れて行きました。

確かその日は土曜日で、保健所は休みだと思い、警察署に電話をしました。

警察では

「犬を連れてきていただけますか?」

と言われましたが、

「こんな状態の時に、犬の世話まででは、大変ではありませんか?

もし、支障がなければ、家で預かっておきますが…。家にも犬がいますし、犬小屋も余分にありますから、飼い主様が見つかったら、私の電話番号を教えてもらって構いませんので…」

と言う旨の話をしたところ

「助かります」

とのことで、私が預かる事となりました。

それから2時間程経った時、電話が鳴りました。

飼い主さんからでした。実家から近い所に住んでいる方の様で、お互いがわかる場所で待ち合わせをし、無事、飼い主様へお返しする事ができました。

自転車で迎えに来た彼女は、犬を乗せてから、

「あの地震で、この仔は怖がって、ちょっと窓を開けた隙に、外に飛び出してしまって…子ども達と探していたら、警察から連絡があって…これはほんの気持ちです。今、こんなものしかなくて…」

と、袋いっぱいのお菓子を差し出してくれて…

私は直ぐに

「お気持ちたけいただきます。今はお菓子を買う事だってだって大変な時。1時間も2時間もお店に並んで、買えるのは、1人3品、5品まで。お菓子もその内の1品。それを買う事により、他に欲しいと思っている食材は買えないですよね。それでも、お子さん達の為にと買ったお菓子でしょう?お子さん達に、食べさせてあげてください」

と、お菓子はお持ち帰りいたたきました。

これは後でわかった事なのですか、その仔も「モカ」と言う名前で、長男が勤めていたお店のお客様で、しかも、息子担当のお客様だつたとか…

息子は

「この犬、俺の知っている犬に、よく似ている」

と、言っていたのですが、似ているどころか、本人でした。

差し出されたお菓子を断った話を 息子にした時、

「俺だったら、もらっていたのに。母さんらしいね。」

と、言われたのですが!後でお客様とわかった時、

「お菓子、もらわなくてよかったよ」

と、後で笑い話になりました。

震災から2週間経って、長男が

「社長から連絡がきて、半分だけ引き取ってくれるって」

との事。

「何故、半分なの?全部じゃないの?」

と思いながら、取り敢えず半分。

この段階で残った犬と猫は、実家に連れて行き、世話をする事が、だいぶ楽になりました。

残り半分は、震災から1ヵ月後の事でした。

震災から1ヵ月、動物達の世話をしていた分は、全てボランティア。息子の給料すら、出なかったのです。

そうそう、トリミング中で連れて来た仔は、震災から2週間後位に、息子が職場に行き、お客様の資料を探して持ち帰り、住所から家を探して、ご自宅に届けに行きました。

息子の職場の大家さんであるホームセンターは、被害が大きく、暫くの間休みが続き、その間息子は、いろいろと考えた様で、お店が再開して直、転職をし、そこで知り合った子が、長男のお嫁さんです。

私が震災中に体験した、動物達の事での苦労は、この程度の事ですが、私の知り合いで

私は二度と、犬を好きになる事はない

と、言った方がいます。

彼女は、石巻に居た妹さんを津波で亡くしたそうで、その理由が、地震が来て、一旦避難したにも関わらず、家に犬(1週間前に、誕生日のプレゼントとして、家族からもらった犬)を忘れたからと、家に戻る途中で津波に…だから、犬は好きになれない…

それを聞いた時、何も言えませんでした。

震災でお亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。        合掌

Prettyもか

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